生きる意味という若い時によく考える難儀な問題

人はある程度年齢を重ねて行くと、
様々な決断や決心を決めることに迷いも少なくなってくる。

それは色々な経験を重ねた上での知識や知恵など、
引き出しを持っているからなのだろう。

しかし、生きる意味と問われてしまうと話は別で
上手に答えれた人は今まで一人もいませんでした。

僕も的確に答えることができない一人ではありますが(涙)

生きる意味は若いから考えているのか

若い頃は生きる意味やその目的を問うてしまいがちだ。

難しいことではあると思いますが、
考えたり悩んだりするということはある意味
幸せといった側面もあるのではないかと思っています。

幸せといった側面があるといっても
それは不幸なケースだったりもする(汗)

どちらにしても私たちは一生懸命社会で働いて
家族や愛する人のために頑張っていても
立ち止まったりして自分の姿を見つめ直したりする。

  • 何故?
  • どうして?
  • 何のために?

どうしてこんなに頑張らなければいけないのだろう...
何故、我慢ばかりをし続けなければならないんだろう...

自分の周りの人たちに不幸があった時など
自分に置き換え同じようにそれを問うたりすることもある。

この人の人生はどんな風だったんだろうか?
どんな生き様だったんだろうか?
幸せだったんだろうか?

誰しも一度や二度は、
こんな風に考えたことがあると思うのです。

しかし、そんな風に考えたところでほとんどの人が
適当なところで考えることを止めてしまっている。

それはどうしてなのか?

これはあくまで僕の考えですが、
そうした事を問うても数学の計算のように
ハッキリとした正解などわからないからだと思っています。

「生きる意味」について考えても正解を出せないから
そんなことを考えても無駄と勝手に結論付けてしまう。

いつものように頑張って日々を生きていくことだけを考えている
といったいつもの状態に戻ってしまう。

深く考えてもネガティブな方向へと向かって行く
そんな嫌なイメージが先行してしまう。

ネガティブなイメージというのは嫌な予感という事。

「生きる意味」を考えた時、
そこそこの考えで考えることを止めてしまうのは
生や死という意味をめぐる問いの答えの少なさだと思う

若い頃ならば生きるこの意味を考えたりして悩んだものだ。

しかし年齢を重ねてくると部下や後輩などもできるし
プライベートは住宅ローンやら教育費やらで昔より格段に忙しい。

若い頃より現実問題が山積みで逆に考えることが多くなり
自分の自由な時間も無く家族のために
一生懸命頑張ることで悩むヒマも無い。

こんな人たちはたくさんいて
悩みを完全克服して生きているのでは無い。

実は心に蓋をしているだけで問題解決をしたり
生きる意味を見つけ出しているわけでは無いのです。

生きる意味を説明しろと言われても
僕ごときが正確に説明することなどできませんが、
あえて表現するなら「楽しむため」だろうと感じている。

皆さんは今でも何かに夢中になってしまい
時間も忘れて没頭してしまうことがありますか?

子供の頃のように寒さや暑さも忘れ
何かにのめり込み気付くと何時間も経っている
なんてことが今でもあるでしょうか?

そんな夢中になり没頭できる時間の過ごし方など
年齢を重ねるほど無くしていっていると思うのです。

だから自分の感じたまま好きな事を一生懸命やればいいし
人から何と言われようが思ったまま挑戦してみてもいいでしょう。

普通だと自動車でなければいけない場所へ汗水流しながら
自転車で行ってみたりするだけでも気付きがあったりする。

失敗や成功を繰り返した経験者だけが知る感動を
若い人たちには味わってほしいと思う。

つい思ってしまうことですがもっと早くにインターネットがあれば
今よりももっと素晴らしい体験ができたと思うと
若い人がもの凄く羨ましくなってくる(涙)

若いころに考えてしまう「生きる意味」とは、
中々、問題解決するには難しい問いだと思いますが
人は楽しむために生きているという事を知ってほしい。

少しだけでも見出すことができれば
それは生きる意味の始まりなんだろうと思っています。

今日も読んでいただきありがとうございましたm(__)m

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